
樹まり子
いつき まりこ / MARIKO ITSUKI
1989年、「青木さえこ」名義で3作品を同時リリースしてAVデビュー。当初は短期間で活動を終える予定だったものの、Dカップの豊かなスタイルと、清楚なルックスからは想像できない大胆でエネルギッシュな表現が支持され、一気にトップ女優へ駆け上がりました。樹まり子へ改名後はメーカーの壁を越えて大量の作品に出演し、わずか約2年間で成人映画を含め50本以上に登場。1990年の活動休止後、1992年には「樹マリ子」として限定復帰し、その復帰作も大ヒットを記録した、バブル期AV界を象徴する伝説的女優です。
- 身長
- 160cm
- スリーサイズ
- B86 / W59 / H89
- カップ
- Dカップ
現在確認できる活動状況
CURRENT STATUS1994年にAV女優としての活動を再び休止して以降、本人による継続的な芸能活動や公式SNSについて確認できる公開情報は限られています。一方、旧作の復刻やベスト作品を通じて、現在も1980年代末から1990年代前半を代表する女優として名前が残っています。
1994年に再び活動休止
1992年の限定復帰後も作品を残しましたが、1994年を最後にAV女優としての継続的な活動から離れました。
復刻・ベスト作品が残る
2000年代以降もDVD化やベスト盤、レジェンド企画が発売され、現役時代の映像がアーカイブされています。
バブルAV時代の象徴
短期間に大量の作品が制作されたキャリアは、当時のAV市場の勢いそのものを物語っています。
現在の公式SNSは未掲載
本人運営と安全に確認できる現在の公式X・Instagram等を特定できないため、未確認アカウントへのリンクは掲載していません。
樹まり子のプロフィール紹介
PROFILE樹まり子は、1970年1月28日生まれとされる元AV女優。現在広く参照されている人物資料では、埼玉県大宮市、現在のさいたま市出身とされています。
活動当時には複数の異なる公称プロフィールが使用されており、神奈川県出身とするもの、生年月日を1969年9月9日とする作品資料なども残っています。
身体プロフィールについても媒体差がありますが、1989年当時の代表的な公称値として、身長160cm、B86・W59・H89、Dカップという記録があります。
樹まり子のAVキャリアは、1989年7月に始まりました。
最初に使用した芸名は青木さえこ。『素晴らしき日曜日』『快楽天国』『猥褻淑女 ビーナスの雫』という3作品が同時期に発売され、異例のスタートを切りました。
『素晴らしき日曜日』を手掛けたのは清水大敬。青木さえこという芸名も清水が付けたとされています。
当初はこの数作品だけでAV活動を終える予定だったとされています。
しかし、出演作で見せた豊かなスタイルと積極的なキャラクターが大きな反響を呼びました。
当時の宣伝では「巨乳」「淫乱」という言葉が樹まり子のイメージを象徴するキーワードとなり、予想をはるかに超える人気を獲得していきます。
その後、芸名を青木さえこから樹まり子へ変更。
ここから出演本数は爆発的に増加しました。
1989年後半だけでも『背徳の令嬢』『人間失格』『ぬるぬるアイラブユーOK』『レイプ狂い5 感染』『失神カルテ』『まり子の下半身事情 絶頂娘』など、多数のメーカーから作品が発売されています。
現在のように一人の人気女優が特定メーカーへ長期間専属する形とは異なり、樹まり子はシネマジック、KUKI、VIP、クリスタル映像、アリスJAPAN、ダイヤモンド映像、芳友舎など、当時の有力メーカーを横断して出演しました。
1990年に入ると、その勢いはさらに加速します。
『淫乱小町』『観音狂い咲き』『男優さんが来た!スペシャル』『獣道一直線』『女帝まり子』『黄金』『いんらんパフォーマンス 中に出して!』『逆ソープ天国7』など、年間を通して次々に作品が発売されました。
人気女優の作品を月に1本楽しむというレベルではなく、複数メーカーから同じ月に別作品が登場することもあるほどのリリース量でした。
1989年から1990年までの約2年間で、AVだけでなく成人映画も含め50本以上へ出演したとされます。
つまり単純計算でも、月に数本という現在では考えにくいほどのペースです。
この大量リリースは、樹まり子自身の人気だけでなく、バブル景気とAV市場拡大が重なった1980年代末の勢いも象徴しています。
一方で、単純に作品数が多いだけの女優ではありませんでした。
柔らかな顔立ちと豊かな身体を持ちながら、作品の中では感情表現が大きく、積極的で親しみやすいキャラクターを見せました。
清水大敬は後年、樹まり子を「性の観音菩薩」と表現したと伝えられています。
また、人気を得た後も性格が変わらず、男優やメーカーについて悪く言わない明るい人物だったという証言も残っています。
樹まり子という人物のイメージは、強烈な作品タイトルから想像するような近寄りがたい女王様タイプとは少し違います。
むしろ親しみやすい表情や柔らかな雰囲気と、映像内での大胆さのギャップこそ大きな魅力でした。
1990年には、その人気が思わぬ形で後のAV史にも影響を与えます。
樹まり子主演の男優オーディション企画へ、一人の新人男性が応募しました。
その人物が、後に加藤鷹と並ぶ人気AV男優となるチョコボール向井です。
オーディション参加者の多くが緊張する中で結果を残したことをきっかけにプロ男優への道が開かれ、樹まり子出演作が後のスター男優誕生の舞台となりました。
AVだけでなく劇場公開される成人映画にも出演しています。
1989年には『樹まり子 巨乳しごく』、1990年には『ザ・本番 巨乳いかす!』『ラ・ヴァルス』『痴漢電車 奥まで押し込め!』などが公開されました。
特に『ラ・ヴァルス』は『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などでも知られる映画監督・実相寺昭雄が監督した作品で、樹まり子のフィルモグラフィーの中でも異色の一本です。
写真媒体でも高い人気を持っていました。
1989年11月には山木隆夫撮影による写真集『WATCH ME!』を発売。
1993年には西田幸樹撮影の『LABIAN』も出版されるなど、映像だけではなく写真集でも本人の人気を前面へ押し出す展開が行われました。
しかし、1989年から続いた怒涛の出演は1990年に一度終わります。
樹まり子は人気絶頂期にAV活動を休止。
その後は雑誌コラムの執筆やインタビューの聞き手など、映像出演とは異なる仕事へ活動の軸を移しました。
スター女優が突然第一線から消えたことは、当時のファンに強い印象を残しました。
そして約2年後の1992年、再び大きな転機が訪れます。
芸名表記を「樹マリ子」へ変更し、AVへ復帰しました。
当初は5作品だけという限定的な復帰だったとされています。
復帰の背景には、当時経営状態が厳しかった制作会社からの依頼があったとされ、本人も限定出演のつもりで仕事を引き受けました。
ところが復帰作品が大きく売れ、会社の経営状態を立て直すほどの結果を出したという逸話が残っています。
1992年には『リメンバーミー』『完全復活』『氷の靡娼』『マリ子の50分十本勝負』などが発売。
タイトルからも分かる通り、「伝説の人気女優が戻ってきた」こと自体が大きな商品価値となっていました。
1993年以降も活動は続き、『ファイナルステージ』『マリコ プライバシーの侵害』『制服スナイパー大感謝祭』『奴隷妻マリコ 肉悦の罠』『若奥様マリ子』などを発表します。
1993年7月には西野美緒との共演作『挑発のくちびる 熱いカラダでオトシマエ』も発売されました。
若い新人だった1989年とは違い、復帰後は女王様、若奥様、大人の女性といった成熟した役柄も増えていきます。
1994年には『美巨乳・FUCK』『制服絶頂祭』『IMAGE DOWN』『鮮烈実写10 樹マリ子』などを残し、再び活動を休止しました。
以降、新作AV女優としての継続的な活動は確認されていません。
ただし作品自体はその後も繰り返し復刻されています。
2000年代には『お宝コレクション』『スターファイル 樹まり子』『Legend Special vol.46 樹まり子』『I LOVE 樹まり子』など、本人の名前を冠したベスト・復刻商品が数多く発売されました。
2019年には『ジーザス栗と栗鼠スーパースター SPECIAL 樹まり子』も発売されるなど、現役時代から数十年後まで過去作品の商品価値が維持されています。
樹まり子のキャリアで特に印象深いのは、二度とも「まだ売れる時期」に活動を止めていることです。
1989年の新人時代から一気にトップへ上がり、1990年に休止。
1992年に復帰すると、その復帰作品も大きな成功を収め、再び人気女優として作品を残した後、1994年に再休止。
活動期間だけを見るとそれほど長くありません。
しかし、出演密度と作品数、複数メーカーへの影響力、復帰時の話題性を考えると、1980年代末から1990年代前半のAV史を代表する存在の一人といえます。
豊丸、桜樹ルイ、小林ひとみ、松本まりな、卑弥呼らと同じ時代に名を残しながら、樹まり子は「豊かな身体」と「大胆さ」、そしてどこか人懐っこい明るさを併せ持つ独自のポジションを築きました。
AV市場が巨大化していったバブル期だからこそ生まれたスターであり、同時に、その時代を作品数と人気の両面から象徴する女優でもあります。
基本プロフィール
PROFILE DATABASE- 名前
- 樹まり子
- 読み方
- いつき まりこ
- 英字表記
- Mariko Itsuki
- 初期名義
- 青木さえこ
- 復帰時名義
- 樹マリ子
- 生年月日
- 1970年1月28日
- 出身地
- 埼玉県大宮市(現・さいたま市)
- 血液型
- AB型
- 身長
- 160cm
- スリーサイズ
- B86 / W59 / H89
- カップ
- Dカップ
- 趣味
- 料理 / ドライブ / 下着集め / スキューバダイビング
- AVデビュー
- 1989年7月
- デビュー時名義
- 青木さえこ
- デビュー作品
- 『素晴らしき日曜日』『快楽天国』『猥褻淑女 ビーナスの雫』
- 第一次活動
- 1989年~1990年
- 第一次活動の出演数
- AV・成人映画を含め50本以上とされる
- 第一次休止
- 1990年
- 休止中の活動
- 雑誌コラム / インタビューなど
- 復帰
- 1992年
- 復帰名義
- 樹マリ子
- 復帰時の主な作品
- 『リメンバーミー』『完全復活』『氷の靡娼』『ファイナルステージ』など
- 第二期活動
- 1992年~1994年
- 再休止
- 1994年
- 主なメーカー
- ダイヤモンド映像 / シネマジック / KUKI / VIP / クリスタル映像 / アリスJAPAN / 芳友舎 / アイビック / ファイブスター ほか
- 成人映画
- 『樹まり子 巨乳しごく』『ザ・本番 巨乳いかす!』『ラ・ヴァルス』『痴漢電車 奥まで押し込め!』など
- 写真集
- 『WATCH ME!』『LABIAN』ほか
- 代表的イメージ
- 巨乳 / 積極派 / 淫乱系 / 親しみやすいキャラクター
- 近年
- 復刻・ベスト作品を中心に旧作が流通
- 現在の公式SNS
- 本人運営と確認できる継続中アカウントは未掲載
活動・経歴
CAREER TIMELINE-
1989.07青木さえこ名義でAVデビュー
『素晴らしき日曜日』『快楽天国』『猥褻淑女 ビーナスの雫』の3作品が同時期に発売されました。
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1989.07『素晴らしき日曜日』
清水大敬監督作品へ青木さえこ名義で出演。後の大ブレイクへつながる出発点となりました。
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1989夏予想外の人気爆発
当初は短期間で活動を終える予定でしたが、豊かなスタイルと大胆な表現が支持されました。
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1989「樹まり子」へ改名
青木さえこから芸名を変更し、本格的に人気AV女優として活動を開始しました。
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1989.10『背徳の令嬢』
KUKI作品へ出演し、メーカーを横断する売れっ子女優となっていきます。
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1989.11写真集『WATCH ME!』
山木隆夫撮影による写真集が大陸書房から刊行されました。
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1989.11『人間失格』
VIP作品へ出演。1989年後半には複数メーカーから毎月のように新作が発売されました。
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1989.12アリスJAPANへ出演
『レイプ狂い5 感染』などへ出演し、人気メーカーを次々に横断しました。
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1989.10成人映画『樹まり子 巨乳しごく』
AVだけでなく劇場公開される成人映画でも本人の名前がタイトルに使用されました。
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1990.01『淫乱小町』
「巨乳」「積極派」という樹まり子のイメージを強く打ち出す作品が続きました。
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1990.01男優オーディション企画
樹まり子主演作品のオーディションをきっかけに、後の人気男優チョコボール向井がAV業界へ入りました。
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1990.02映画『ラ・ヴァルス』
実相寺昭雄監督による成人映画へ出演しました。
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1990.03『ジーザス栗と栗鼠スーパースターSPECIAL 2』
V&Rプランニングの過酷な長時間撮影シリーズにも出演しました。
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1990.04『獣道一直線』
アリスJAPANで椎名かおりとの共演作品を発表しました。
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1990.05『女帝まり子』
本人名を前面へ出したスター作品が作られるほどの人気女優となりました。
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1990.08『逆ソープ天国7』
ジャパンホームビデオの人気シリーズへ出演しました。
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1989–90成人映画を含め50本以上
約2年間という短期間で驚異的な本数へ出演し、バブル期AV市場の象徴となりました。
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1990人気絶頂で活動休止
新作AVへの出演を止め、雑誌コラムやインタビューなどへ活動の場を移しました。
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1991過去素材・編集作品が継続
活動休止中にも過去映像を利用した作品や編集版が発売され、人気が維持されました。
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1992「樹マリ子」として復帰
表記を変更し、当初5本限定の予定でAVへ戻りました。
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1992.07『リメンバーミー』
伝説の人気女優復帰を前面へ押し出した作品が発売されました。
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1992.07『完全復活』
復帰作が大きな売上を記録し、人気が健在であることを証明しました。
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1992限定復帰から活動継続へ
当初予定を超えて作品制作が続き、第二期の活動へ入りました。
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1993.01『ファイナルステージ』
アイビックから発売され、復帰後も単体女優として存在感を保ちました。
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1993.07写真集『LABIAN』
西田幸樹撮影の写真集が発売され、第二期にも写真作品を残しました。
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1993.07西野美緒と共演
『挑発のくちびる 熱いカラダでオトシマエ』へ出演しました。
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1993–94大人の女性役へ変化
女王様、若奥様、人妻など、1989年の新人時代とは異なる役柄が増えていきました。
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1994再び活動を休止
『美巨乳・FUCK』『鮮烈実写10 樹マリ子』などを残し、新作出演から離れました。
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2000年代DVD・復刻版が多数発売
旧作をまとめたベスト、レジェンド、復刻シリーズが繰り返し制作されました。
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2019人気シリーズが再商品化
『ジーザス栗と栗鼠スーパースター SPECIAL 樹まり子』など、現役時代から約30年後にも関連商品が発売されています。
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現在バブルAV時代を代表するレジェンド
現在の公的活動は限定的ですが、驚異的な出演密度と二度の人気期を持つ女優として名前が残っています。
青木さえこから始まった3作品同時デビュー
TRIPLE DEBUT青木さえこ名義
樹まり子として知られる以前、デビュー時には「青木さえこ」の名前を使用していました。
3作品ほぼ同時リリース
『素晴らしき日曜日』『快楽天国』『猥褻淑女 ビーナスの雫』から異例のスタートを切りました。
清水大敬監督
『素晴らしき日曜日』を監督し、「青木さえこ」の芸名も考案した人物として知られています。
本来は短期出演予定
当初は数本の出演で終える予定でしたが、予想以上の人気によって状況が一変しました。
樹まり子へ改名
人気上昇とともに現在知られる芸名へ変更し、本格的な女優活動へ入りました。
一気に売れっ子へ
デビューから数か月で複数メーカーから出演依頼が集まる人気女優になりました。
Dカップと大胆さで起こした人気爆発
BUSTY & BOLDDカップ
当時の公称プロフィールでは70-D。豊かなバストが大きな特徴として宣伝されました。
B86のメリハリ
160cmの身体に対してB86・W59・H89という女性らしいラインを持っていました。
柔らかな顔立ち
刺激の強い作品タイトルとは対照的な、親しみやすい表情も魅力でした。
積極的なキャラクター
作品では大きな感情表現を見せ、「巨乳」だけではない強い個性を残しました。
「性の観音菩薩」
初期作品を手掛けた清水大敬から、後年この印象的な言葉で評されています。
明るい人物像
人気を得た後も明るく、周囲への悪口を言わない人物だったという証言が残っています。
わずか約2年で50本以上という異常な出演密度
BUBBLE ERA SUPERSTAR50本以上
第一次活動の約2年間だけで、AVと成人映画を合わせ50本以上へ出演したとされています。
月に数本ペース
平均すると月4~5本近い計算になり、現在では考えにくいほどの制作速度でした。
バブル景気のAV市場
作品が大量に制作・販売された1980年代末の市場環境そのものを象徴するキャリアです。
複数メーカーを横断
特定メーカーだけでなく、多数の会社が樹まり子の人気を求めて作品を制作しました。
本人名が作品タイトルへ
『女帝まり子』『樹まり子のSEXカルテ』など、女優名そのものがブランドとなりました。
超売れっ子
短期間の活動であっても、その密度によって80年代末AV史の主要人物となりました。
メーカーを横断したトップ女優
CROSS-STUDIO STARダイヤモンド映像
青木さえこ時代の『素晴らしき日曜日』など、デビュー初期から関わりました。
シネマジック
『猥褻淑女 ビーナスの雫』『エデンの淫獣』など、初期から複数作品へ出演しました。
KUKI
『背徳の令嬢』『黄金』などへ出演し、人気メーカー作品にも顔を出しました。
アリスJAPAN
『レイプ狂い5 感染』『獣道一直線』などへ出演しました。
クリスタル映像
人気企画や男優オーディション作品など、AV史に残る作品へ出演しました。
メーカー非依存の人気
どのメーカーの商品でも「樹まり子」という名前そのものが集客力を持っていました。
チョコボール向井誕生につながった男優オーディション
A PIECE OF AV HISTORY男優オーディション企画
1990年、樹まり子主演作品で一般男性を対象とした男優オーディションが行われました。
後のチョコボール向井
応募者の一人が、後にAV男優・プロレスラーとして有名になるチョコボール向井でした。
オーディション合格
緊張する応募者が多い中で結果を残し、プロ男優として活動するきっかけを得ました。
別のスター誕生の舞台
樹まり子の出演作品が、一人の有名男優のキャリア開始にも関わることになりました。
1990年代AVへの接続
女優だけでなく男優にもスターが生まれる時代への変化を象徴するエピソードです。
作品から歴史が枝分かれ
一つの企画作品が、その後のAV業界の人物史へつながった興味深い例です。
成人映画・写真集にも残る樹まり子
FILM & PHOTOBOOKS『樹まり子 巨乳しごく』
1989年に劇場公開され、AVだけでなく映画館でも本人の名前を前面に出しました。
『ザ・本番 巨乳いかす!』
1990年公開の成人映画でも主演級の存在感を見せています。
実相寺昭雄監督作品
1990年には実相寺昭雄監督の『ラ・ヴァルス』へ出演しました。
『WATCH ME!』
1989年11月に刊行された代表的な写真集で、AV外でも本人の人気を商品化しました。
『LABIAN』
1993年には復帰期の樹まり子を収めた写真集も刊行されています。
映像だけではないスター
写真集や雑誌でも人気を持ち、女優本人を楽しむAVアイドル的な支持を得ていました。
1990年、人気絶頂で選んだ最初の休止
FIRST BREAK1990年に活動休止
売れなくなって消えたのではなく、超売れっ子の状態で新作出演を止めました。
雑誌コラム
映像出演から離れた後は文章を書く仕事などにも活動の幅を広げました。
インタビュー
自分が取材される側だけでなく、聞き手として仕事をすることもありました。
約2年のブランク
AV新作から離れても人気は消えず、復帰を待つファンが残りました。
旧作は流通を継続
休止中にも編集版や過去作品が販売され、樹まり子ブランドは維持されました。
復帰そのものが商品になる
この空白期間が1992年の復帰をより大きなニュースにしました。
1992年「樹マリ子」完全復活
THE COMEBACK1992年復帰
約2年ぶりにAV新作へ出演し、大きな話題となりました。
「樹マリ子」表記
復帰期には名前の「まり」をカタカナにした表記も使用されました。
当初は5本限定
本人としては限定的な復帰という認識だったと伝えられています。
復帰作が大ヒット
ブランクをものともせず大きな売上を記録し、人気が健在であることを示しました。
会社を立て直すほどの売上
本人の回想では、復帰作品の成功が当時厳しい状態だった会社の経営改善につながったとされています。
第二期へ発展
限定出演を超えて1994年まで作品が続き、第二の人気期を作りました。
活動時の印象・歴史的インパクト
LEGACY GUIDE1989~90年の爆発的な出演量、スタイル、複数メーカーでの人気、1992年の復帰までを含め、樹まり子を象徴する要素を整理しています。
樹まり子の関連作品
RELATED PRODUCTS1989~1990年の第一次活動、1992年以降の復帰作品、DVD化されたベスト・復刻作品など、樹まり子の関連商品を表示しています。
樹まり子についてよくある質問
FREQUENTLY ASKED QUESTIONS樹まり子の読み方は?
「いつき まりこ」と読みます。英字では「Mariko Itsuki」と表記されます。
樹まり子の生年月日は?
現在広く参照されているプロフィールでは1970年1月28日生まれです。活動当時の作品資料には異なる生年月日の記載もあります。
樹まり子の出身地は?
現在広く参照される人物資料では埼玉県大宮市、現在のさいたま市出身とされています。FANZAなど一部プロフィールには神奈川県出身という記載もあります。
樹まり子の身長とスリーサイズは?
代表的な公称プロフィールでは身長160cm、B86・W59・H89です。媒体によってB84やB89など異なる数値も残っています。
樹まり子は何カップ?
1989年当時のプロフィールにはDカップとする記録があります。
樹まり子の旧名義は?
AVデビュー時は「青木さえこ」名義でした。1992年の復帰期には「樹マリ子」という表記も使用しています。
樹まり子はいつAVデビューした?
1989年7月にAVデビューしました。
樹まり子のデビュー作は?
青木さえこ名義で『素晴らしき日曜日』『快楽天国』『猥褻淑女 ビーナスの雫』の3作品が同時期に発売されました。
なぜ樹まり子は人気になった?
Dカップの豊かなスタイルと柔らかなルックス、作品で見せる大胆で積極的なキャラクターのギャップが支持され、「巨乳」「淫乱」といったキーワードとともに一気に人気が高まりました。
樹まり子は何本くらい出演した?
1989年から1990年までの第一次活動だけでも、AVと成人映画を合わせ50本以上へ出演したとされています。
樹まり子とチョコボール向井には関係がある?
1990年、樹まり子主演の男優オーディション企画へ応募したことが、チョコボール向井がプロAV男優になるきっかけとなりました。
樹まり子は映画にも出演した?
はい。『樹まり子 巨乳しごく』『ザ・本番 巨乳いかす!』『ラ・ヴァルス』『痴漢電車 奥まで押し込め!』などの成人映画へ出演しています。
樹まり子はなぜ1990年に活動を休止した?
人気絶頂期の1990年に新作AVへの出演を止め、雑誌コラムやインタビューなど別の仕事へ活動を移しました。
樹まり子は復帰した?
はい。1992年に「樹マリ子」名義でAVへ復帰しました。当初は5作品限定の予定だったとされています。
樹まり子の復帰作は売れた?
本人のインタビューをもとにした記録では、復帰作品が大きな売上を記録し、当時経営不振だった制作会社の立て直しにつながったとされています。
樹まり子はいつ引退した?
1990年に一度活動を休止し、1992年に復帰。その後1994年に再び活動を休止しています。
樹まり子と「樹(みき)まり子」は同じ人?
別人です。同時期に「樹まり子」と書いて「みき まりこ」と読む別のAV女優が活動していたため、古い作品を調べる際には注意が必要です。
樹まり子の公式SNSはある?
2026年8月の確認時点では、本人運営と安全に確認できる継続中の公式X・Instagram等は掲載していません。